2007年 08月 29日
オパが来た |
(注)オパとはドイツ語でおじいちゃんのこと。正式にはder Grossvaterで愛称がder Opa。ちなみにおばあちゃんはオマといって、die Grossmutter = 愛称 die Oma。
ある日突然オパから電話があった。
「今さぁ、実家から200キロのところに来ていて今日はここに泊まるねん。時間はわからないけんど明日中にフランクフルトさ着ぐと思うがらー」
と、こんな感じで。(多分バイエルンなまりだと思うので方言風に訳してみました)そっか、そういえばそのうちバイエルンから自転車でフランクフルトまで来るという噂を聞いていたけど本当に来るとかいつ来るとか聞いてなかったのですっかり忘れていた。距離にしてなんと300キロ以上の道のりを2日間かけてやってくるオパの年齢は67歳。ビール腹だけど全体的に筋肉質で力持ち。どんな重い荷物でも軽々と持ってくれる。そして泳ぐ時の水着はいつもビキニ。
待つこと24時間!?電話をくれた日の翌日午後5時ころ、300キロも走った(それもラストスパートは何キロも上り坂よ)という疲れも見せずにこにこして自転車で到着したオパ。夏のドイツの夕方5時はまだ午後の日差しが強く明るい。偶然居合わせた近所の日本人のお友達がオパと対面して「なんとまぁ、おとぎ話にでてくるおじいさんそのものという感じの・・・」と本人を目の前にして絶句していた。ケンタッキーのカーネルおじさんのひげをとった感じと似ているといえなくもない。
数日間滞在していってくれたが、手間はかからないし気は使わなくてすむし子供を連れて長時間外に行ってくれるし何かと家のものをなおしてくれるし(何でも作れるハンディマン)本当に助かった。食べ物の好みも熟知しているのでお昼には実家の義母が作りそうもない都会的な「ポークのグリーンハーブマリネステーキ」を作ったら美味しいって大喜び。スーパーで買ったものを焼いただけだが・・・とてもいい肉を奮発して買ったねん!
このオパの過去の栄光といえば、45歳の時にデンマークからバイエルンの実家まで歩いて新聞にのったことかな。デンマークといってもドイツとの国境の町フレンスブルグ。行きは電車とバスを乗り継いで行って帰りはずっと徒歩。バイエルンの自宅まで950キロを3週間くらいかけて歩いて帰ってきた。誰が知らせたのか家に帰ったら(超ローカル新聞の)新聞記者が待っていてインタビューされたのだと。約20年前の新聞記事はこんな感じ↓
オパ(左)はバイク野郎でもある。仲良しの友達と2,3日かけてツーリングに出かけることも↓
夏休みは実家で古い写真のデジタル化をしてみた。アルバムをめくりながらふと、「そうか、アルバムというのは自分が後から見て楽しむだけのものではない。自分が年をとってから、もしくはもうこの世にいなくなってから、他の誰かに自分の生きた形跡を見せるためのものでもあるんだな・・・」としみじみ思った。人のアルバムを整理している場合ではない。私の写真なんて、高校の修学旅行まででアルバムは終わっている。その後の人生の山のような写真はポケットアルバムに整理されているものあり、箱にいれっぱなしあり、カメラ屋の袋に入ったままあり、だ。今自分に何かあったらこの写真の山は後に見る人の目にどう映るのだろうか。とりあえず古い写真は全て日本の実家からドイツに持ち込んでいるのだから、家に帰ったら急いでアルバムを整理しよう、見られて困るもの(!?)は捨ててしまおう、見られたくないけど捨てられないものは鍵付きの箱にでも入れよう、とひそかに誓った。そして今現在、時間を見つけては自分のアルバムを作成中だ。やっと20歳の青春期くらいまでたどり着いた。このころはスキーによく行ってたんだな・・・酔っ払った顔の写真をたくさん撮られていて笑える。
日本の大昔の写真もかなりおもしろけど、ドイツのもなかなか味わいがあるので何枚かここにご紹介させていただくことにする。
↑1940年代の写真。典型的なファームハウスで育ったオパ。
↑兵役時代のオパ。どこにいるかは本人もわからない。
↑生まれて初めて買った車VWビートル(ドイツではケーファーと呼ばれている)の前で格好つけてる若かりしオパ。今のオパにはこの青年時代の甘い面影は、ない。
↑ケーファーの上に乗っかっているのは夫。やさしく微笑む義母。右の男の子の帽子はバイエルン風で羽がついている。
↑3月に紹介した年代物のそりがまだ新品だったころの証拠写真。ドイツの子は今も昔も袋にくるまれて冬でも雪でもへっちゃら。
↑いかにもバイエルンな子供達。夫は左から2番目でバイエルン風のカーディガンがレトロ。一番左の子供の帽子も可愛い。
ある日突然オパから電話があった。
「今さぁ、実家から200キロのところに来ていて今日はここに泊まるねん。時間はわからないけんど明日中にフランクフルトさ着ぐと思うがらー」
と、こんな感じで。(多分バイエルンなまりだと思うので方言風に訳してみました)そっか、そういえばそのうちバイエルンから自転車でフランクフルトまで来るという噂を聞いていたけど本当に来るとかいつ来るとか聞いてなかったのですっかり忘れていた。距離にしてなんと300キロ以上の道のりを2日間かけてやってくるオパの年齢は67歳。ビール腹だけど全体的に筋肉質で力持ち。どんな重い荷物でも軽々と持ってくれる。そして泳ぐ時の水着はいつもビキニ。
待つこと24時間!?電話をくれた日の翌日午後5時ころ、300キロも走った(それもラストスパートは何キロも上り坂よ)という疲れも見せずにこにこして自転車で到着したオパ。夏のドイツの夕方5時はまだ午後の日差しが強く明るい。偶然居合わせた近所の日本人のお友達がオパと対面して「なんとまぁ、おとぎ話にでてくるおじいさんそのものという感じの・・・」と本人を目の前にして絶句していた。ケンタッキーのカーネルおじさんのひげをとった感じと似ているといえなくもない。
数日間滞在していってくれたが、手間はかからないし気は使わなくてすむし子供を連れて長時間外に行ってくれるし何かと家のものをなおしてくれるし(何でも作れるハンディマン)本当に助かった。食べ物の好みも熟知しているのでお昼には実家の義母が作りそうもない都会的な「ポークのグリーンハーブマリネステーキ」を作ったら美味しいって大喜び。スーパーで買ったものを焼いただけだが・・・とてもいい肉を奮発して買ったねん!
このオパの過去の栄光といえば、45歳の時にデンマークからバイエルンの実家まで歩いて新聞にのったことかな。デンマークといってもドイツとの国境の町フレンスブルグ。行きは電車とバスを乗り継いで行って帰りはずっと徒歩。バイエルンの自宅まで950キロを3週間くらいかけて歩いて帰ってきた。誰が知らせたのか家に帰ったら(超ローカル新聞の)新聞記者が待っていてインタビューされたのだと。約20年前の新聞記事はこんな感じ↓
オパ(左)はバイク野郎でもある。仲良しの友達と2,3日かけてツーリングに出かけることも↓
夏休みは実家で古い写真のデジタル化をしてみた。アルバムをめくりながらふと、「そうか、アルバムというのは自分が後から見て楽しむだけのものではない。自分が年をとってから、もしくはもうこの世にいなくなってから、他の誰かに自分の生きた形跡を見せるためのものでもあるんだな・・・」としみじみ思った。人のアルバムを整理している場合ではない。私の写真なんて、高校の修学旅行まででアルバムは終わっている。その後の人生の山のような写真はポケットアルバムに整理されているものあり、箱にいれっぱなしあり、カメラ屋の袋に入ったままあり、だ。今自分に何かあったらこの写真の山は後に見る人の目にどう映るのだろうか。とりあえず古い写真は全て日本の実家からドイツに持ち込んでいるのだから、家に帰ったら急いでアルバムを整理しよう、見られて困るもの(!?)は捨ててしまおう、見られたくないけど捨てられないものは鍵付きの箱にでも入れよう、とひそかに誓った。そして今現在、時間を見つけては自分のアルバムを作成中だ。やっと20歳の青春期くらいまでたどり着いた。このころはスキーによく行ってたんだな・・・酔っ払った顔の写真をたくさん撮られていて笑える。
日本の大昔の写真もかなりおもしろけど、ドイツのもなかなか味わいがあるので何枚かここにご紹介させていただくことにする。
by raquel_2006
| 2007-08-29 20:38
| L オパ