2007年 08月 19日
ロッククライミング |
ロッククライミングは健康ヲタクの夫の趣味の1つだが、私も挑戦したことがある。日本で何度か練習してから、ちょうど2年前の夏ドイツデビューを飾った。ロッククライミングをやったことがない人からみると「危ない」「怖い」と思うかもしれないが、登っている人が墜落しないよう、もう一人が下でロープで安全確保をして行うので、基本をきっちりおさえればわりと安全に楽しめるスポーツでもある。また、腕の力が強くないとできないと思われがちだが、力よりはバランスと柔軟性が求められ、コース戦略を考える知的ゲームという側面もある。腕の力だけで登ろうとするとすぐに疲れてしまうので、手で石をつかんでよっこいしょと登るのではなく、まず足を先行させてから体と腕を持っていく。ロープがあるので、極端にいえば両手両足を岩から離しても墜落することはないのだ。
ドイツでは子供もロッククライミングを手軽に楽しんでいるようで、以前インドアジムにいたらぞろぞろぞろと小学校高学年くらいと思われる子供達が賑やかに乱入してきた。私は安全が確保されたジムのクライミングだというのに悲壮な顔つきで「ここで一歩踏み外したらまっさかさまに転落か・・・」と恐怖で動けないでいた。その隣をきゃっきゃとはしゃぎながら、すいすいひょいひょいと登っていく子供達。「なんであんなに身軽なの?あの子達は怖くないんかね?」と夫に詰め寄ると「体重が軽いほうが登りやすい」とこれ以上ないほどごもっともな回答。山にロッククライミングをしに行く時も、必ず1つや2つの子供のグループ(プラス指導員らしき大人)と出くわす。ドイツの子供達はアウトドアに小さい頃から親しんでいるなぁといつもうらやましくなる。自分は子供の頃、「危ないから」の一言で何もやらせてもらえなかった。本当に危ないのではなく、単に親がやったことのないこと=危ないこと、という偏見によってである。だからいくつになっても新しいことに挑戦するのは、失われた数々のチャンスを自力で挽回したいからなのかもしれない。
今年の夏はバイエルンの実家にいる間、1回だけロッククライミングに付き合った。これも「もはや産後は終わったプロジェクト」の一環としてどうしても今のうちにやっておいたほうがいいと判断したからだ。もうこれ以上は登れない・・・と諦めかけた時に、「いったん1メートルくらい下におりて別のルートを探せばもっと上に行ける」という夫のアドバイスに珍しく素直に従い、手足を離してロープでおろしてもらい再挑戦して、目標にしていた地点よりもさらに高いところまで登れたのは爽快だった。<人生もこうやってたまに逆戻りしてもいいんだな>と思えた目から鱗の経験だった。そして無理のない楽なクライミングで恐怖やストレスを感じなかったのも、リハビリとしては最適だった。
(参考)数あるロッククライミングジムの中で東京都内で代表的なところはこちらです。たいていどこのジムも、一人でも手ぶらでも指導を受けて体験ができるようになっている。
夜になって久々のクライミングを成し遂げた興奮さめやらず。こんな詩(?のようなもの)がとりとめもなく心に浮かんできてもう眠ることはできなくなった。
ロッククライミングは 人生に少し似ている
頂上を目指す者もあれば あまり多くを望まない者もいる
困難なルートにあえて挑戦する者もいれば 楽なルートだけを選ぶ者もいる
次の一歩をじっくり考えながら登る者もいれば その場の思いつきで進む者もいる
もう限界だと思った後に力を振り絞ってあと一歩登る者もいれば
無理せずあっさりと引き返す者もいる
かなり高くまで登ったのに頂上に行けなかったことを悔やしがる者もいれば
ほんの低い地点までしか行かなかったのに満足している者もいる
ロッククライミングも人生も
どこまで登れるかが重要なのではなく どれだけ満足したかが重要なのだ
そして
ロッククライミングのギアを装備して、シューズを履いて、
切り立つ岩のスタートラインに立てるだけでも 喜ぶべきことだ
そこから一歩でも先に進めたら それは生きているということ
生まれてこなかった命 無念にも散っていった命 それらの清い魂に背中を押されながら。
by raquel_2006
| 2007-08-19 01:54
| アウトドア、スポーツ